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コラム COLUMN

繊維産業の歴史を紡ぐデニム生地メーカー、産地を繋ぎ、ものづくりを地域の魅力へ|篠原テキスタイル

繊維産業の産地である広島県福山市に本社を置き、創業110年を超える歴史の中で、デニム生地製造の高い技術を育みつつ、未知の素材の取り扱い等、積極的なチャレンジを続ける篠原テキスタイル。工場見学等の情報発信を通じて、生地メーカーとして新機軸を打ち出すだけでなく、産地間・異業種を繋ぎ、福山という地域を、ものづくり産業を魅力にした地域へと紡いでいく想いや取組について、篠原テキスタイル 代表取締役 篠原由起氏にインタビューしました。

繊維産業の歴史を担う、生地メーカーの事業承継

創業110年超の歴史、繊維産業の発展と共に歩んだ生地メーカー

篠原テキスタイルの現在の主な事業はデニム生地の製造です。1907年に創業し、福山市の地域産品である「備後絣」という絣織物の手織りの個人事業から始まりました。岡山県東部から広島県西部の「備前」「備中」「備後」の地域は、元々それぞれ繊維が盛んな地域であり、当社も繊維産業の歴史と共に歩んできた会社の一つです。

今でこそ当社が製造する生地はデニムがメインですが、以前は様々な生地を取り扱っており、アフリカのターバンで利用される柄が入った生地等、商社を経由して海外へ輸出していました。本格的にデニムが主流になったのは、1970年代頃からで、日本のファッションが、和装から洋装へ大きく変化する中で、アメリカの下がりものだったジーパンを「日本で生地から作ろう」という流れがありました。産地内の染色工場が、自動染色機を導入して、経糸を染めることを始めたことをきっかけに、地域で製造する生地が徐々にデニムに切り替わっていきました。

戦前の手で織る時代から、戦後に入り、日本の産業が農業から繊維産業へ転換する中で、工場でも機械化が進み、機械一台に一人がついて織る時代から、複数台の機械を一人でオペレーションする時代へと変化しました。当社も社員数が一番多い時は、250名という規模で、学校も運営していました。繊維産業が国の基幹産業だったので、鹿児島や沖縄から人が集まり、集団で就職し、寮で生活しながら、午前中に繊維工場で働き、午後は学校に通うという、今とは全く違った時代背景がありました。時代と共に、工場の様子も変わり、現在の当社の社員は20名弱ですが、生産性の高い機械を利用しているので、生産量で言えば、当時を上回っていると思います。



繊維会社の長男としての人生キャリア、様々な現場経験を経て事業を承継

私が篠原テキスタイルの代表に就任したのは2022年7月です。子供の頃から、父は、私が会社を継ぐことについて、明確に何かを言われた覚えはありませんが、篠原家の長男として生まれたので、自然と私が継ぐことを意識していました。将来的に、生地の会社を継ぐのであれば、その時に役立つ経験がしたいと考えていたので、大学を卒業してから7年間は大阪紡績の会社にいました。大阪も繊維の街であり、篠原テキスタイルが取り扱う「生地」の前工程である、「糸」を学びたいと思いました。

そこでは、まず現場に入り、機械整備を担当しました。スパナや六角レンチの扱いも初めて知りました。その後、糸の新商品の開発担当を経て、「営業やるか?」と言われました。その時のお客様は、デニムの生地を織っている会社もあれば、今治のタオル工場さん、奈良の靴下工場さんや、和歌山のTシャツ用の生地を作っているニット工場さん等、色んな方をお話をして、全国の産地を知ることができました。このネットワークは今も生きています。「編物」と「織物」は全く違うこと、デニムのように経糸を芯を残して青く染めて、白い緯糸で織る手法が珍しいこと等、自分にとってたくさんの新しい気づきがありました。福山にずっといると、自分の産地のことしか分からなかったかもしれませんが、当時色々な産地に行きお話しさせていただいたことが、現在の産地をまたいだ素材開発の基礎になり、非常に貴重な経験をさせていただいた時期だったと思っています。

私が30歳のときに、篠原テキスタイルに戻り、今度は生地を作ることを学びました。工場の現場に入り、糸を繋ぐところから、生地を織り、検査や、機械の整備、織り上がった生地をトラックに載せて運ぶ等、生地製造の全ての工程をやりました。今でもやっていますし、父である会長もまだやっています。ちょうど父が70歳になったタイミングで、私が社長を継ぎました。



生地メーカーとしての新機軸、技術を活かし、未知の領域にも果敢にチャレンジ

下請から再び自社商品へ、「会社を知ってもらうこと」の意味

篠原テキスタイルの経営の歴史を遡ると、祖父の時代は自社商品のみを製造販売していた時期もありましたが、年間安定した生産が見込めるということで父の時代に100%下請の仕事に切り替えました。ただ、時代が進むと、徐々に大手顧客からの注文が減り、仕事量も不安定になっていきました。そこで15年前頃から、改めて自社商品の企画を進める方向性にシフトしていきました。私の弟達と一緒に取組を進め、現在は自社商品の売上の割合が約7割までになりました。

私が代表に就任してから、経営方針として重視したことは、「篠原テキスタイルを知ってもらう」ことです。これまでは、そもそも「工場は見せるものではない」という考え方が強く、あまり前に出ないようにしていました。販売も、地元や関西の生地商社を通じた商流メインでした。それだけでは、その先のお客様から当社のことを知ってもらうことはできません。積極的に展示会に出展する機会を増やし、まずは篠原テキスタイルを知ってもらい、お客さまから選ばれる企業になることを心掛けました。

安価な商品の場合、製品のストーリーはそこまで重要視されないかもしれませんが、1本2万円のジーンズのような商品の場合、その製品がどこで、どんな風に作られているのか、製品の背景やストーリーを、知って、伝えたいという人が増えています。ジーンズを履く方が「このデニムは広島でできているんだ。ここに篠原テキスタイルがあるらしいよ」と認知されれば、ブランドさんも当社を選んでもらえるようになるかもしれない。認知度が上がるにつれて、実際に福山市内で消費者の方から篠原テキスタイルの生地についてチラホラ聞くようにもなりました。

高い技術力を世界が評価、未知の素材へ挑戦し、繊維のアップサイクルへ

デニム生地の特徴は様々です。どのような表情の生地が織れるかが、生地メーカーとしての差別化になります。例えば、ひとくちにデニム生地といっても、昔のリーバイスのような固いビンテージの生地もあれば、ヨーロッパで好まれるような、シュッとしたキレイ目の生地もあります。アパレルブランドごとに、それぞれのスタイルに合わせて、好みのキャラクターがあります。篠原テキスタイルが得意とするのは、きれいめのデニム生地です。ゴリゴリのジーパンのデニム生地よりは、柔らかい、トロンとしたような生地が織れる技術を持っていることを強みにしています。元々ジーパンはデニムブランドしか製造していませんでした。ルイ・ヴィトンもジーパンは作っていなかったのですが、現在は欧州を中心としたハイブランドや、スポーツブランド等がデニム製品を作るようになり、ジーパンという製品そのもの幅が広がりました。デニム素材を使うブランドが増えたことで、生地にも多様性が求められるようになりました。

篠原テキスタイルの得意な生地は、きれいめで、柔らかく、光沢があるデニムです。この柔らかさを表現するためには、柔らかい糸で織る必要があります。柔らかい糸は、切れやすく、織りにくいとうのが一般的ですが、当社は下請が中心だった時代に、柔らかい素材であるレーヨンを取り扱っていたので、柔らかい糸でも生地を織れる技術を持っていました。当社が取り扱いを始めた「テンセル」という、ユーカリ等の間伐材由来の100%天然素材を取り扱えるのも、柔らかい糸を織れる技術があればこそです。アパレル業界は、環境配慮に非常に敏感な業界です。利用している素材が環境にやさしいものかどうかも問われます。テンセルは、樹木のセルロースを化学的に分解せず、繊維を精製し、廃液も99%回収されるため、環境に負荷の少ないエコな繊維です。この繊維を取り扱えるのも、創業からこれまで培った技術を活かした背景があり、篠原テキスタイルのストーリーの一つです。

アパレルの業界では、「アップサイクル」という、本来は捨てられるはずの製品に新たな価値を与えて再生する取組が注目されています。当社も、サッポロビールと一緒に、ビールを作る工程で出る搾りかすをデニム生地にして、「黒ラベル Malt & Hops Series Yellow Stitch JEANS」というアップサイクルデニムへと生まれ変わらせる取組に協力しました。元々はRinnovationという会社が、沖縄のさとうきびの搾りカス「バガス」を使ったデニム生地「SHIMA DENIM」に取り組んでいることがきっかけで繋がったプロジェクトです。「SHIMA DENIM」の生地も弊社で織っています。同じ備後地域の企業とも、アップサイクルの文脈で連携が進んでいます。広島県府中市に本社を置き、“made in JAPAN”にこだわりを持ち、「SPINGLE MOVE」のブランドで有名な靴メーカーであるスピングルカンパニーとは、広島・長崎に寄贈された千羽鶴を、溶かしてレーヨンにすることで再利用した糸で織った生地を利用したスニーカーを開発・販売しました。

いずれも、未知の素材にチャレンジし、生地に生まれ変わらせる技術があったからこそ実現できたプロジェクトです。生地メーカーが前に出て知られることで、「こんなことできないか」という相談が、色んなところか来るようにもなりました。そういった取組を、Facebook、Instagramを通じて、情報発信することで、海外からも篠原テキスタイルの生地を扱いたいと直接相談がきています。

海外では環境を配慮し、サステナブルな会社かどうかが、強く問われます。篠原テキスタイルも、2020年から「SHINOTEX」という自社ブランドも立ち上げました。繊維産業は、地球に負荷がかかる産業であり、生地をつくる工程でも、大量の水とエネルギーを使用するので、繊維工場の在り方そのものが問われています。そんな中で、自分たちでできる取組を考えた時、その一つが廃材を減らすことでした。これまで廃材だった端材を新しい製品に生まれ変わらせるのが「SHINOTEX」というプロジェクトです。110年という歴史の中で会社がこれまで育んできた技術と、現在の我々が取り組むサステナブルな取組と掛け合わせて、実際に取り組んでいることを伝えています。



産地・異業種で連携、共創により産地全体で利益を上げる

会社を知っていただく取組の一つとして、地元の小中学生を対象とした工場見学を行っています。私の場合、パン屋さんでしたが、子供の頃いった社会見学先をよく覚えていたので、福山の子供たちにも、地元にデニムの会社があることを知ってもうらおうと思い、始めた取組です。見学した小学生の中には、縫製工場に勤務されている方の息子さんもいらっしゃったり、地道ですが、知ってもらって、選んでもらう取組をしています。また、アウトドアブランドのSnow Peakと連携し、「LOCAL WEAR TOURISM in FUKUYAMA」という工場見学ツアーも実施しています。

デニムの産地全体でみると、このコロナ禍でも出荷量はそこまで落としていないという感覚です。その理由は、「Made in Japan」のデニム品質が世界で認められているからだと思います。その中でも、特に「篠原の生地」が選ばれるように努力が必要だと感じています。一方で、自分の会社だけでなく、産地として他の会社と共創していく重要性も感じています。例えば、当社にきたお客さんの中でも、もっと別の生地が欲しいと言われた時に、産地の中で連携が取れていれば、違う生地屋を紹介することができます。実際に、当社には他の生地屋のカタログも置き、いつでも紹介できるようにしています。産地が連携することで、産地全体で商売ができればいいなと思っています。

今後の繊維産業に感じる可能性としては、各企業の若手が集まって、一緒に何かしようという横の繋がりができつつあります。カイハラさんや坂本デニムさん等も加わり、本来であれば競合会社も参加しており、地域全体で動きをつくる流れができています。若手の団体で情報発信していけばいいよねという流れもできています。そういった人材を集めるために、移住系のイベントに出たりもしています。デニムだけの発信をしていると、知ってもらう機会が限られます。例えば、サッカーや音楽×デニムという切り口で、異業種でコラボレーションできれば、これまでとは全く違った層の方から、福山デニムのことを知って頂けるようになります。実際に福山にきた時に、デニム制服の制服だったり、家具があると「福山ってデニムの街なんだ」って思って頂けますよね。そういうのは面白いと思っています。



世界に認められる生地メーカー、カベを超え、ものづくり産業を街の魅力へ

篠原テキスタイルとしては、ブランドさんがデニムの素材で何かしようと思った時に、まず選ばれる会社を目指します。認知度を上げて、日本だけでなく、世界中に通じる生地ブランドの会社にしていきたいと思っています。そのための工場見学等の取組は今後も増やしていきます。

私自身が、福山で生まれて、育っているので、単純にその周りを楽しくしたいという想いがあります。福山は、ものづくりに特徴がある街なので、全国のものづくりに関わる人たちが来やすい街にしたいです。例えば、アパレルのデザイナーの方がデニムで何かつくろうと思った時に、福山駅に降りたら、何でもできる。織物屋があり、生地屋があり、企画もしてくれて、ビンテージ加工の洗い屋もあり、そういった技術のある企業をガイドできるような環境を作ってみたいですね。デニムに限らず、鉄工・木工も同じように、福山に素材メーカーや技術屋が集積しているので、その可能性を活かして、ものづくり産業を地域の魅力として発信できる街を目指していきたいです。

私自身「カベをつくりすぎない」ということを意識しています。敷居が高いと思われてしまうと、新しい可能性は広がりません。「難しそう」「ややこしそう」と断っていたら、当社でもサッポロビールのような事例は生まれませんでした。自分達の情報を出さないままでいると、新しい可能性の芽をつぶしてしまいます。私が、元々そういう気質だからかもしれません。海外から見ると、児島も、井原も、福山も同じJapanです。産地の中で競争するだけでなく、異業種も含めて共創していくことで、産業を地域の魅力として発信することができるといいなと思います。


概要

会社名篠原テキスタイル株式会社
代表者名代表取締役 篠原 由起
創業年1907年
資本金1,000万円
従業員数約20名
本社所在地広島県福山市駅家町中島703
事業内容織物製造販売
HPhttps://www.shinotex.jp/



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クレジオ・パートナーズ株式会社のご紹介代表者 :代表取締役 李 志翔
所在地 :広島市中区紙屋町1丁目1番17号 広島ミッドタウンビル3階
設立  :2018年4月
事業内容:
 ・M&Aに関するアドバイザリーサービス
 ・事業承継に関するアドバイザリーサービス
 ・資本政策、企業再編に関するアドバイザリーサービス 等
URL  :https://cregio.jp/

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