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実績 PERFORMANCE

CASE 23

事業承継で紡ぐ地域医療の未来、
患者に寄り添うチャレンジの進化

奈良県奈良市にクリニックを構え、奈良県内の有数の耳鼻科として、常に新しいチャレンジに取り組んできたつるはら耳鼻科。
事業承継を契機に、おおやま耳鼻咽喉科へと改名。事業承継の経緯や、承継する側・される側、それぞれの想いについて伺った。

  • 企業概要

    おおやま耳鼻咽喉科(旧:つるはら耳鼻科)

    奈良県奈良市 / 理事長 大山 寛毅

    業種 クリニック
    事業承継の目的 事業継続

はじめに、事業を引き継がれた鶴原様にお伺いします。
クリニックを立ち上げられた経緯や概要について教えて頂けますか。

鶴原

 私は早いタイミングから人生の計画を持っていました。
 医師を志したきっかけは、小学校高学年の時に見たアメリカの医療番組です。手術に臨む医師を見て「かっこいい!」と思いました。低学年の頃はパイロットになりたいと思っていましたが、視力が悪化して難しくなったこともあり、医師を目指しました。将来計画として、大学の勤務医は10年間、その後に独立、65歳に引退すると決めていました。今回の事業承継までは、自分が思い描いたとおりに進んでいます。

鶴原

 私の人生の目的は「幸せ」になることです。
 私の幸せの定義は「自分がワクワクすること」です。他人が幸せになることで、私もワクワクします。よくスタッフの皆に、「お客さんがわざわざ足を運んでくれて、“ありがとう”と感謝してくれる。そんな仕事は、クリニックしかないよ」と伝えています。

鶴原

 大学は、叔父が耳鼻咽喉科の医師だったこともあり、バラエティに富み、繊細な手術もできる耳鼻咽喉科を専攻しました。
 独立して自ら開業することも、迷いはありませんでした。「もっと患者さんのためになりたい」という気持ちから、様々な新しい取組にチャレンジしました。開院当初、手術する患者さんの送迎を行い、老人ホームへの定期訪問も始めました。普通のクリニックだとお休みの日に診療する「日曜診療」や、「補聴器リハビリ」「コロナ診療」等、どれも当院が奈良県内で初めて取り組みました。奈良県内で新しいことを最初に取り組むことを意識していました。

鶴原

 例えば「補聴器リハビリ」の取組をご紹介すると、よい補聴器選ぶためには、補聴器そのものの性能ではなく、患者さん専用にフィットするよう調整することが重要です。当院では、視聴できる補聴器を250種類用意しており、補聴器の担当者が患者さんにとってのベストなフィッティング調整を行います。「補聴器販売」が目的ではなく、患者さんにとって最適な診療を、当院独自の取組として提供しています。

続いて、事業を譲り受けされた大山様にお伺いします。
大山様のご経歴や今回の承継の経緯についてお聞かせください。

大山

 私の父が歯科医師として開業しており、子供の頃から職場に足を運んでいたこともあり、自然と医療系の職につきたいと考えるようになりました。歯科だと身体の一部分しか診ることができないので、広い範囲を診療できるようになりたいと思い、奈良医大に入学し、歯科医師ではなく医師を目指しました。
 耳鼻科を選んだ理由も、幅広い年齢層に関われるからです。内科の場合は高齢者が多く、小児科の場合は子供が中心となってしまいます。耳鼻科であれば、外科手術もできるので、診療の幅が広い点も魅力を感じました。
 幼少期の印象的な体験も影響しています。中耳炎で耳がすごく痛かった時、鼓膜切開という方法で、先生が何も言わずに耳の中をブスっと刺すと、不思議なくらい痛みが消えました。
 現在の私の専門領域は「めまい」です。めまいの症状は、耳鼻科特有のものではありませんが、脳出血以外のめまいの原因は、耳に由来することが多いです。入局した時に、尊敬する先生がめまい診療の大家であり、私に「学会で発表してみないか」と仰ってくれたのが、めまいを専門にするきっかけでした。

大山

 鶴原先生のクリニックには、医局時代からアルバイトとして月2回程度のペースでお世話になっていました。めまいに悩む患者さんがいらっしゃったときは、ご紹介頂くような関係もあり、通う回数は徐々に増えていました。
 父が開業医だったこともあり、どこかのタイミングで自分も独立しようとは思っていましたが、どこかのクリニックを承継することは、頭の中には全くありませんでした。ある時、鶴原先生から「当院の承継について考えている」「大山先生、やってみないか」と仰って頂きました。

大山

 非常勤医として関わっていたこともあり、つるはら耳鼻科が地域や患者さんに愛される医院であることは知っていました。奈良県内でも有数のクリニックであり、たくさんの患者さんがご来院される、ものすごく忙しいという印象でした。新しいことを真っ先に取り入れるスタイルで、色々と工夫をしており、スタッフの皆さんも一生懸命サポートし、レベルが高いと感じていました。ここまでのクリニックを一から立ち上げるのは難しいと思っていたので、引き継がせて頂けるのであれば、ありがたいと思っていました。

大山

 親子間で医院を承継するお話はよく伺いますが、第三者への承継は医局関係でもあまり聞いたことはありませんでした。
 本格的な承継のお話が進むと、譲り受けするために必要な金額の話になりました。私自身、そういった相場が全く分からない中で、率直に驚いてしまいました。私が足踏みしてしまったことは、きっと鶴原先生にも伝わっていたと思います。

酒井

 私たちも、最初に鶴原先生からご相談を受けた時、「一番の理想は大山先生なんだよな」と仰っていたことを覚えています。ただ、大山先生の様々な立場を考えたとき、金額だけではない、大きな決断が必要だということは感じていました。

大山

 ご相談を受けたのが、ちょうど奈良医大から近畿大学へ移る直後のタイミングでもあったので、「いつまでに結論を出すのがよいでしょうか」と伝えてしまいました。鶴原先生がお元気だったので、私の中では「承継はまだ先」と高を括っていましたが、なるべく早いタイミングを希望されていることが分かりました。私が決心しないのであれば他の候補も探さないといけないと考え、クレジオ・パートナーズに相談されたのだと思います。

事業を引き継がれた鶴原様にもお伺いします。
事業承継を考えたきっかけや理由について教えてください。

鶴原

 私の計画では65歳での承継を考えていましたが、悩みもあったので私の資産管理を請け負って頂いている方から紹介される形で、クレジオ・パートナーズの酒井さんとお会いしました。
 当院のやり方もご存知で、スタッフとも馴染みがあり、やはり大山先生に継いでいただくことがベストと考えていました。また、大山先生と私の生い立ちも、二人とも奈良県外の出身者である一方、奥様は奈良県出身等、よく似ているなと思っていました。クレジオに第三者も含めて候補を探してもらっていましたが、ある時、大山先生が心を決めたと言ってくれました。

鶴原

 承継を考えた一番の理由は、体力的な問題です。私自身、できるだけ多くの患者さんに尽くしたい、診療したいという想いを強く持っていても、年を取ると、これまでと同じエネルギー量を維持するのが難しく、そんな状態で診療することが忍びないと思っていました。
 私は全てに対して全力投球で臨みます。仕事に対してもそうでした。日々来院いただく患者さんの数に対しても一喜一憂していました。新しいことへのチャレンジが好きで、チャレンジすることが私自身と、スタッフのモチベーションに繋がると考えていました。院内に掲げる行動指針は、スタッフが自ら作成してくれたものです。スタッフを始め、当院にはたくさんの財産があります。大山先生はラッキーだったんじゃないかな(笑)。
 仕事は本当に楽しかったです。全力で楽しむ一方、私自身は本当に幸せなんだろうかという気持ちもありました。私の家内はどちらかというと大局的に物事を見る方なので、ずいぶん助けられました。事業承継を終えた感想としては、「ホッとした」ですね。「やりきった」とさえ思います。常に自分の中で120%出し切る生き方なので、後悔はありません。

お二人にお伺いします。
承継における検討の様子や、懸念されていたことについて教えてください。

鶴原

 承継をきっかけに、スタッフが辞めてしまうことを懸念していました。当院のスタッフは皆優秀で、外部から当社のオペレーションを見学したいというオファーを頂く程です。見学の度に、参加した方に感想文を頂き、それがスタッフのモチベーションや、更なる改善にも繋がっています。
 また、私が院長のときも、ありがたいことに、たくさんの患者さんに来院いただきました。スタッフの雇用の継続と、事業の継続が一番の懸念事項でした。
 私はどちらかというと、新しいものを開拓する方が好きなので、承継するくらいなら新規で開院したいと思うタイプです。いきなり大きなものを引き継ぐのは、新しく立ち上げるよりも、大変な点もあると思います。私の懸念を払しょくしてくれるのは大山先生しかいないと思っていたので、大山先生が、当院の価値を認めて、引き継ぎたいと思ってくれたことを嬉しく思います。これまでの勢いを活かして、大山先生が得意とするめまい診療で奈良県のトップになって欲しいと思います。

大山

 一番大きな懸念でいうと、やはり譲り受けに必要な金額でした。何が相場なのか分からない中、鶴原先生を信じている一方で、お互いが納得する形で承継した方が禍根を残さないと思っていました。
 アルバイトとして関わっていた経験もあり、スタッフの皆さんの優秀さや雰囲気は理解していたので、当院の運営や診療そのものへの不安はありませんでした。むしろ、私の専門領域と、鶴原先生の専門領域を活かした新しい体制もできるのではと考えていました。鶴原先生は、他の医院がやっていない治療をいち早く取り入れ、多くの患者さんから信頼されています。私自身も、新しいことにチャレンジするのは好きです。承継してから、早速電子カルテを導入し、今後、自動精算機を取り入れる予定です。

クレジオ・パートナーズを利用した感想を教えてください。

鶴原

 担当してくれた酒井さんは、よく気が付いてくれました。電話でも気が付くし、押し付けることなく、緻密に聞いてくれます。承継する側と、承継される側の立場の違いをよく知った上で、言葉についても慎重に選んでくれているのが伝わりました。業務終了が20時過ぎることもあるので、夜遅くに電話することもありましたが、迅速にニコニコ対応して頂き、愛情を持って取り組んでくれていることが伝わりました。

大山

 承継を考える際に、鶴原先生と直接やり取りするよりは、第三者的な専門家に間に入ってもらう方がいいと思っていました。そういう方を探さないといけないと思っていたところに、鶴原先生からクレジオ・パートナーズを紹介いただきました。そういった経緯もあったので、最初は鶴原先生寄りだったらどうしようという不安もありました。

酒井

 ご不安に思われているところが分かりましたので、鶴原先生に許可をとった上で、財務状況を説明し、承継した場合の収支のシミュレーションを行っていました。

大山

 色んなパターンのシミュレーションをして頂いて、少しずつ理解が深まりました。金額や交渉の条件の部分はやはり直接話しづらい、主張しづらい部分もあったので、クレジオが間に入ってくれたのは助かりました。

事業承継を終えた感想や今後の方向性について教えてください。

鶴原

 お伝えしたとおり、「ホッとした」というのが正直な感想です。
 今はたくさん旅行に出かけています。ビジネスとしてやってみたいこともありますが、暫く休んで、私の幸せの定義である「自分がワクワクすること」に改めて向き合いたいと思います。これまでは、奈良県内でもトップを目指し、患者さんに自分のベストを尽くして役に立ちたい想いで、必死に仕事に励んできました。
 一方で「何もしない勇気を持つことも大事」とアドバイスも頂きました。人生を達観できるよう、自分自身に向き合う時間を作りたいと思います。

大山

 2024年7月1日から新しい院長となることが決まった時もそんなに緊張はなかったのですが、6月末に、これまで鶴原先生の似顔絵だった看板が、自分の似顔絵に変わった時、「本当にやっていけるのかな」と初めて緊張しました(笑)。
 私の専門分野が、めまい診療なので、「めまいで困ったらおおやま耳鼻咽喉科」と言われるよう、奈良県内で一番を目指したいと思います。難治性のめまい・ふらつきには前庭リハビリがよいことが分かっていますが、日本では理学療法士が前庭リハビリを実施している施設はまだ極めて少ないです。先んじて当院が取り組むことで、新しい可能性を広げていきたいと思います。

最後に、事業承継に課題を抱えるクリニック等に向けて
メッセージをお願いします。

大山

 クリニックの承継は、一般的には新規で開業するというイメージが強いと思いますが、継承できる機会があるなら、一つのやり方だと思います。クリニックの存在は患者さんにとっても重要ですし、新規開業する医師としてもゼロから立ち上げるよりメリットがあるのではないかと思います。私の場合、承継前から関わっていたこともあり、全く知らないという状況ではなかったことも大きかったです。
 後継者不在の課題を抱えるクリニックはこれから増えると思います。開業を目指されている医師には「ご縁があるなら、新規だけにこだわらんと、継承も視野にいれるのもいいんじゃない」と伝えたいです。

鶴原

 私自身も最初は、同じ業種で、血の繋がった子供に継いだ方が楽かなと思っていました。今は、絶対親族以外の方に継ぐ方がいいと思っています。子供だと、親心が混ざってしまうので、承継する条件を決めることが難しく、承継を終えてからも、子供のことが気になってしまいます。親族外への承継は、ある意味、自分自身の次のステージを考えやすいのではと思います。
 承継に悩む方には、自分が今どうしたいかを考えて欲しいです。ご不安はおありだろうと思いますが、決断が遅ければ遅い程、会社の価値は下がる。はよ決断した方がいい。
 人それぞれワクワクの仕方が違うので、いくつになっても現役でいることが自分自身のワクワクなら、それはそれでよいと思います。私は、新しいステージに行くことを望みました。